what's new!

2011年11月13日

伝承地 真田幸村の墓所(11/14追記)

幸村への愛をおかしな方向へ滾らせている毎日です。
宴が届かないムシャクシャした気持ちを晴らすため、鹿児島に残る真田幸村の伝承地へと行ってまいりました。

せっかく鹿児島に真田幸村の伝説が残る場所があるんだもの!
行ってみて、感じて、滾らねば!

なお、この道楽に付き合わされたのは息子と父親です。
夫が出張中でなければ、父親ではなく夫が巻き添えを食っていたことでしょう。
というか、今回が無理でもまた行こうと思っているので、無理やり付き合わせますがね。

真田幸村の薩摩落ち伝説に関してはwikiででも、どうぞ。

さて。
日曜日。
ここ最近雨が続いていましたが、この日は良い秋晴れです。
まるで私の幸村への愛を象徴するかのようです。
いや、これはむしろ幸村が私を歓迎しているからこその、晴天なり。
いざ行かん、彼の地へ。

実家から父親が到着し、AM10:00過ぎに家を出発。
国道10号線を鹿児島市内方面へと走り、谷山市街を抜け、知覧を過ぎ、南九州市頴娃町へ。
調べると雪丸地区の私有林に墓所はあるということだけど、私有林なので地番は特になし。
わからなければ地元の人に聞こうと地区に入ると、親切にも“伝・真田幸村の墓”と矢印とともに案内板がありました。
ちゃんと岐路ごとに丁寧な案内があり、すんなりと私有林まで辿り着く事が出来ました。
迷ったり、下手すると辿り着けないかもなと思っていただけに、感動ものでした。
地元の方々、ありがとうございます。

さて、下の写真が私有林の入口です。
image-20111113193955.png

ここから先は徒歩で400M程度山登り。
杉の樹とシダ植物、舗装されていない正に山道。
鬱蒼としてるわけでもなく、かといってサバサバと開かれているわけでもなく、静謐な林でした。
上を見上げると木々の間から木漏れ日が綺麗だし、肌に涼しい冷気。
雑談しながらしばらく歩くと、林の中腹ほどに立看板と一緒に墓石がありました。

image-20111113194018.png

墓石には丸い石が積み上げられ、それだけ多くの学者や研究者が訪れていたのかと感慨深いものがありました。
あと、2011年7月25日の南日本新聞も、墓石紹介として立てられていました。
写真を撮る前に手を合わせて、しばらく黙祷。
昔から信仰の対象としてここにあるのは確かなわけで、これぞ歴史浪漫…。
伝説か否か。
真実か否か。
そういうのはもはや、何かしら新しい文献や何かが出てこない限りは分からない事だけど、ここでそう信じられて大事にされてきた場所なのは確かなんですよね。

墓石を後ろから。
image-20111113194036.png
次に来る時はお供え物も今回の分と合わせて持参しようと決めたのでした。


帰りは昼食がてら、知覧の特攻平和会館へ寄ってみました。
戦闘機は息子の興味を引いたようだけど、やはり「特攻」というものについて分かるには、まだまだまだまだ早すぎるってもんでした。

一通りみて、PM3:30に知覧を出発。
帰りは産業道路をずっと登って、10号線へと出て家へ帰りました。
PM5:30過ぎに家に到着。
父親はそれからバイクに乗って颯爽と帰っていきました。
自分が子どもとして実家にいた時は仕事人間で厳しかったもんですが、すっかり孫バカのバイク乗り好々爺になったもんです。
まぁ、そのおかげで、ガソリン代やら食事代やら今回の出費は全部見てもらえてますので、孫バカ万歳でもあります。
「俺も本当なら仕事ばかりじゃなくて、お前たちをこういうのに連れ出していかないといけなかったんだよなぁ」とぽつりと溢してたので、今回同行しながら何か思う所もあったのでしょう。
色々としんみりなったり感慨深かったりした、1日遠出でした。

おしまい。


posted by 萩 at 19:41| 鹿児島 ☀| Comment(1) | TrackBack(0) | NOVEL/BOOK | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
私有林だったんだ!写真からも厳かな雰囲気が伝わってきます。
真実か否かはさておき、こうして守り伝えられているんだもんね。幸村がこの地で過ごしていたかもしれないと考えるとワクワクしてきます。
浪漫だね!
Posted by ムー at 2011年11月15日 20:35
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]


この記事へのトラックバック
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。